リニューアルオープンしました。
ウララ通信時代
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以前はプロフィールなどのページでしたが、あまり面白くないので趣向を変えてみました。
ウララコラムと題しましてコラム欄のようなものにしようと思ってます。文字中心です。
目標は「せめて毎週更新」。上のほうが新しいものです。

最近はほとんどの文章をブログに掲載していることが多いです。ごめんなさい。




3月8日
 
今回はこの間のリヨンへの遠征の話を。朝8時ちょうどに始まるプロフェッショナル用の市、
これが僕は初めての参加、その上今回はアンティーク・タミゼの吉田昌太郎さんと一緒ということで間違いがあったら嫌だなあというちょっとプレッシャーのかかる旅。前日の9時にモンパルナスでレンタカーをピックアップしてそのまま出発。いろいろ悩んだ挙句に燃費の良いディーゼルで荷物が運べる車ということになりルノーのカングーKangooを選ぶ。二人でいろいろ買うにはまさにベストな選択でした。このカングー号がほぼ新車でまたよく走る。夜の雨の高速道路を快適に南へ進むのであります。

予定通り朝方4時前には会場ゲート前に到着し眠る。暖房のせいで喉がひりつくのだけれど(車の中で眠るのはいつ以来のことだろう)そのわりにしっかり眠れたのは疲れのせいか。
7時前に目を覚ましてチケットを買って駐車場を確保、周りの様子をうかがう。なんと言ってもこういう市では「良いモノ争奪戦」なのだ。事前にトイレを済ませ開場と同時に入場、昌太郎さんとはトランシーバーで連絡をとることになっている。初めての市では開場の地理をつかまないと効率よくまわることが出来ないので最初にざっと把握しておいて、あとは碁盤を縦横に「グリッドを歩く」。思っていたよりもガラクタが少ないので僕らには物足りず、午前中であっさり終了。リヨンの街なかの骨董街に行くことにした。

リヨンの街が思った以上に美しく運転しながら感動してしまった。川がある街というのはいいなあ。ここで結構な出物に出会ったり、近所の美味しいビストロを紹介してもらったりしてリヨンの評価はとことん上がる。骨董品と旨いものさえあればどこまでも上がるのだ。

明るいうちにリヨンをあとにし、サンテチエンヌ(70年代にフランスの英雄ミシェル・プラティニが在籍していたところ)経由、クレルモン・フェラン郊外の安モーテルへ。これがまた絵に描いたような安っぽい町の安っぽいモーテル、その町の安っぽいレストランでムール貝を山盛り食べ(これは、案外悪くなかった)、地ビールを飲んで(これも悪くなかった)倒れるように眠る。

翌日も朝8時きっかりに市が始まる。合図とともに一斉に荷降ろしする業者、それを覗き込むバイヤー、結構な光景である。見とれている場合ではないのでいつものようにのグリッドを歩く。昨日のリヨンと似たような感じなのだけれど、たまたまなのか僕はわりと買えた。昌太郎さんはあんまりだったか。ここにも午前中に早々と見切りをつけ、帰りは下道で小さな街の小さな骨董屋を回りながら帰ることに。

高速道路を降りると風景が一段下がるからか、運転のヨロコビが一気に増す。このままどこまでも走りたい気持ちになる。ヨーロッパの田舎の美しさを満喫しながらVICHY,MONTLUCON,BOURGES,ORLEANを経由でパリに戻る。どこだったか、小さな街の骨董屋がよかった。無人だったけれど。ふたたび行くことがあるだろうか。
 
買ってきたすべての荷を部屋に運び(これが結構な量で大変、でもでも、来月からはアトリエに運ぶことができるのだ!)ガソリンを満タンにして無事終了。予告どおり48時間で1200Kmの旅でした。今回の荷物は6月から7月にかけての「九州ツアー」で荷開け、その後、大江戸骨董市という予定であります。ご期待ください。

2月22日

テレビというものをほとんど見なくなったのはいつ頃からだろう。子供の頃からあんまり見てないことは確かなのだけれど、中学生〜高校生のときは普通に見ていたはず。『わくわく動物ランド』も見た。これは小学生のときか。記憶として最後に見たドラマは高校生のときの『東京ラブストーリー』だと思う。たぶんそれ以降はなにも見ていない、たぶん。

今、たまに日本に帰ってもテレビのコンセントすら入ってない。当然、フラットじゃないテレビだし、ワイドかどうかも怪しいものだ。2011年になってこれがただの箱になると聞いたって、どうもピンと来ない。そのときのことはそのとき考えよう(わりと得意な思考だ)。でもまったく見られなくなってしまうとやっぱりそれはそれで僕にとってだって困るのだ。大好きな大相撲中継(なぜか帰国時期とマッチする)、それからニュースステーションが見られない、これは困る。オリンピックだってワールドカップだってちょっと見たい。ま、そのとき考えよう。

 それにしてもフランスのオリンピック中継はどうかと思う。今夜のフィギュアスケートSPだって中継がないなんてね。フランス人が出てないからって、フィギュアスケートは冬のオリンピックの華のはずではないか。さすがにフリー演技は中継していただけるそうですが。なぜか謙譲語を使いたくなるほどのわがままさである。

 ワールドカップは当然、日本の試合は見られないから(決勝トーナメントに行けば別の話だけれど)その時期は日本に帰れればいいなと思う。あれは5月からなのでしょうか。


2月10日

早いものでもう1月が終わってしまった。パリに戻り約10日、このとんでもなく美しい街で散歩する喜びを1人にやにやしながら感じ、だんだんとパリに暮らす感覚になじんでくる。人を含めた動物は環境に慣れるものなのだ。自分の巣(のようなもの)に戻ってきた安堵の感情も含まれている。

 先日、思いもよらぬところからストッカーとして部屋をシェアしないかという、こちらとしてはまさに願っていた提案をいただき、早速さきほどお宅訪問してきた。アーティストである友人がアトリエのように使っていた部屋。場所はrue Campagne Premiere (カンパーニュ・プルミエール)、エコール・ド・パリと呼ばれた時代にモンパルナスで遊んでいた『あの人たち』がたむろしていたあの通り。アトリエ建築のすごいのもある。ピカソ、マン・レイ、モディリアニ、キキ、藤田、ヘミングウェイもこの辺で遊んでいたわけなのです。友人曰く、映画『勝手にしやがれ』でのラストシーンもこことのこと。そんな歴史の真ん中のアトリエを借りることが出来る。一方、そういう喜びとは別のところにあるのは、自宅での作業からの開放。テーブルで古道具を磨いたあと、ざざざと寄せたその隙間で食事をする。発送準備で山のようになった部屋で眠る。洗い物でバスタブが一杯。そういう現状から脱するという現実的な喜びである。

以前、この小さな部屋の中をオフィスと生活の場とで区切るという壮大な計画があったのだけれど(2003年4月15日のコラム参照)、それがついに現実となるのである(ちょっと違うが)。夢はさらに膨らむのだ(詳細は秘密)。



お恥ずかしながらワタクシの自己紹介。
2001年7月にヴァカンス・トラバーユのビザ取得を機にパリへ。
何度かの引越しの後、現在は7区のステュディオ暮らし。
ヴァンヴの蚤の市近所への引越しを真剣に夢見ている。
週末は早朝から晩まで蚤の市、週日は商品を直したり磨いたり眺めてうっとりとしたりして過ごしている。もちろんウェブサイトも。
趣味は蚤の市巡り、料理(酒のアテ中心)、読書、ミュージック、飲酒他。
フランス語は2歳児レベル。情けなし。←最近さらに退化している様子。


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