12月30日ヨーロッパに住んでいて、日本に帰ってきてまず思うこと。思うこと、というよりはなんだか哀しくなってしまうと言ったほうがいいだろう。その貧しい街並みではないだろうか。張り巡らされた電線にさびしげな蛍光灯の街灯がならぶ。偽物の煉瓦、偽物の大理石、安っぽい建材といい加減なデザインで作られた無表情の家、ビル、マンション。郊外に出れば無秩序に派手に建てられたパチンコ屋、ファミリーレストラン、こうこうと蛍光灯の灯るコンビニ、ドラッグストアの類。捨て看板、いんちきな幟、交通標識、自動販売機。電車の窓からも、うら寂しい景色が続く。田んぼの中に突如現れる大きな看板、ラブホテル、捨てられた冷蔵庫。こうなるともう、涙が出そうになってしまう。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。いろいろな原因があると思うのだけれど、とにかくモノを大事にしない、そこにも大きな原因があるのだと僕は考える。我々日本人はたくさんのモノを作ってここまでやってきた。とにかく作る、古いものが余ってくるので捨てる、それもまた古くなるので捨てて新しいものを買う、そういうことを繰り返してきた。大事に長く使うという概念が始めから無いのでデザインや質もそれなりのもので済ませる。「一生モノです」というお決まりの台詞でたくさんのモノを思い切って買ってきたはず。それらのいくつが本当の一生モノだっただろうか。モノには人間の一生よりも長く使える力があるはず。使って使って、傷がついたり、擦り減ってきたり、手の脂で色が変わって、より美しくなる力。そういう力のあるモノをちゃんと選んで買っているだろうか。100年後に世に残る力のあるモノを選んでいるといえるだろうか。
さらに哀しいのは、今の日本の男たちにはそれを選ぶ権力が家庭内で与えられていないということ。それを選ぶことができるのはその妻であり子供である。よって巷にはその「女子供」を意識した質とデザインのモノで溢れている。買った瞬間にごみになるようなとるに足りないものであり、資源のムダ使いであり、環境を汚す原因であり、社会の美観を損ねるまさにどうしようもないモノなのだ。そしてすでにおわかりかもしれないが、僕はこういうものが好きでないのである。
捨てられつつある古いモノに再び光を照らす古道具屋という職業に就いたことを嬉しく思う。古道具屋の提案。今、持っているどうでもいいものを思い切って全部捨ててみる。そして本当に好きなものだけを身近に置く。それが見つかるまで少々の不便さを楽しんでしまう。モノを大切にするということ、美しいものを愛で、共に生活する。そういう人たちが増えるといいと思う。それは単にモノの世界だけの話では終わらないはず。成熟した大人の社会がそこには生まれると思う。一介の古道具屋として年の瀬に思うのはそんなこと。
今年一年、たくさんの方のおかげでいい一年にすることができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また、来年もいいモノとの巡り会いを願うのであります。皆様、よいお年を。
12月25日
新聞やニュースなどですでにご存知の方が多いと思うのだけれど、先週の東海地方は何十年ぶりとなる大雪となった。たまたま先日は古い友人二人を家に招いての宴だったので、車で来ていた下戸のカタワレは心配することしきり、何度も窓の外を見ていたのだけれど我々、特に僕はもう嬉しくて仕方がない。嬉しいのとはどこかちょっと違う、わくわくと子供の頃の心境なのだ。雪深い飛騨の高山という街で生まれ育った僕、雪には強い。しんしんと降り積もった深夜、外に出てしばらく独り遊び。電信棒を蹴る、雪が落ちる。雪玉を作ってはあちこちに投げる。ボンネットの上に倒れこんで「型」をとる。真っ白い雪に立小便。酔っているせいもあり、素手に雪の冷たさが心地よく、ひとり笑いが止まらない。
翌日は朝から快晴、いそいそと角スコップを持って玄関先の雪かき。前日はサラサラ過ぎて雪玉も作りにくかった雪がもうだいぶ湿っている。まだ誰も踏んでいない真っ白な駐車場を軽く転がせばあっという間に巨大な雪玉が出来上がる。大のオトナが朝から雪だるま作りである。大雑把にぼてぼてと丸くなった雪玉をよろよろと担いで玄関先まで上げ、先ほどのスコップで削りながら形を整える。何かを削って円を作るのは大好きな作業、正直言って得意である。竹のかごの帽子、カセットボンベのキャップで目玉を。そういうわけで町内一美しい雪だるまが出来上がった。
その後も雪玉を作っては投げ作っては投げる。硬く握った雪玉が電信柱にあたってぱーんと弾ける感じと音、電信柱に残る雪の痕、そのすべてが好きなのである。しかも肩には自信がある。ふふふ。その次に好きなこと、その雪玉で氷柱を落とす。これが出来ないのはしかたないけれど。
その日の午後は穏やかに晴れ雪国の春の音で溢れることになる。ぽたぽたと雫の落ちる音、小さな水の音、時々どさっと屋根から落ちる雪。
冬と春を一度に感じた一両日、とても気分がいい。
そして、メリークリスマス。
11月25日
さて、またしても日本に帰るその日が近づいてくるわけなのだけれど、そうなると当然それまでにやることが増えてくる。書き出すときが滅入るのでやめておくけれど、それなのになぜコラムを書いていられるのか。雑文とはいえある程度の時間を要する。部屋を見渡すとやらなければいけないことがあちこちに山積みになっており、凝視できない。それでそれらすべてに背を向けてPCに向かってせこせこと文章を書くことにしているというわけ。テスト前日に部屋の掃除をするのとなんら変わらない宇宙永遠の真理であり、法則であるように思われる。
そういうわけで、今日のコラムはなにか心の底から皆様に訴えたいことがあるわけではない。現実逃避の暇つぶしの戯言だと思っていただいて構わない。
11月も終わりごろになると街の様子がなんとなく年末仕様、クリスマス仕様になってくる。日本もそうだし、パリもそう。シャンゼリゼのライトアップが始まりました、などと日本のニュースでもやっているのだろう、想像できる。別にそれはそれでいいのだけれど、なんとなくこういう「みんなでウキウキ」という波にうまく乗れないというのは実にひねくれていると思うのだけれど、それが僕だ。お正月の静かな朝のほうが僕には向いているようだ。人間は1人で暮らす時間が長いと、ある程度こういう傾向が出てきたりするのかもしれない。独り言も増えるのかもしれないし、つい、コラムで自己主張したくなるのかもしれない。
冬になっていいなと思うことは空気が澄んでくること。酔っ払ってうちに帰り、まだ温かいボンネットの上で大の字になってしばらく星をよく見ていた。飲酒運転が罪でなかった(うそうそ)昔の話である。ここ、パリでは驚くほど星が少ないのは「光の街」であるが故なのか、大気汚染によるものなのか。いずれにしても寂しい話である。
11月9日
目が覚めたときが朝、という生活を長いあいだ送ってきたのだけれど、その目覚め自体がだんだんと早くなってきた。歳をとるとはこういうことをいうのだろうか。1ヶ月ぶりに戻ったパリはすでに冬時間がはじまっていて(これが普通の時間だ)、朝8時ごろになってやっと明るくなる。日本に出かける前の夏時間のパリとはあまりにも大きな時間差があり、同じ都市での時間差によるボケ、という変な感覚のずれを引き起こす。
暗いうちに起きるという行為自体は決して好きになれないけれど、がさごそと早起きして動き始めるというのは、やってみると案外気持ちのいいものだ。特に夏は。
今朝も何かの間違いで日の出まで2時間、という結構な早起きをしてしまい、メールを読んで、それに添付してあった長い原稿を1本読んで、手紙を一通書いてからそれを投函しがてら自転車でパンを買いに。あいにくの小雨だったけれど、まだ温かいパンをジャケットの懐に入れ、その温もりを感じながら冷たい雨と空気の中を自転車で走る。久しぶりに見る平日のパリの朝の風景。悪くないなあと何度もつぶやいてうちに帰った。
11月3日
眠い。あまりにも眠い。高校生の頃、テスト前になるとよく眠る癖があったけれど、今はそれと同じくらい眠い。およそ3週間弱の日本滞在を文字通り駆け抜けるように終え昨日フランスに戻る。そのあいだに東京1泊2回、富士の麓へ日帰り1回、北海道ルスツ1泊、半田で2泊。滞在の半分くらいは自分のベッドで寝ていないのだから、そりゃ疲れるわけである。
帰りの飛行機、いつもの「のっぽ席」が取れなかったにもかかわらず、離陸も着陸も知らずにずっと眠っていた。途中はもちろん起きていたけれど、機中でこれほど眠ったのは本当に初めてじゃないかと思う。こういう状態になって初めて疲れをアタマで認識する。もう若くないなあ。
朝5時に起き、しっかりと玄米の朝食を摂り空港へ。8時半ちょうどに飛騨高山中華そば屋の暖簾をくぐり2食目。目覚めて機内食で3食目、おやつに空港で買っておいた千寿の天むすで4食目、さすがに途中のおやつはパスして、到着前の機内食が5食目、うちに帰って空の冷蔵庫(当然だ)に失望し、仕方なく「白いパスタ」。機内ではなぜか腹が減る性質なのだ。それでも朝起きてから到着してうちで寝るまでに約24時間かかっているのだから、6食と言っても大したことはない。そんなもんだ。
今日は近所のマルシェが立つ日だったので早速に出かけ野菜をしこたま買い込む。うちの小さな冷蔵庫は早くも満たされている。気持ちも満たされる。
日本では日本の美味しいものを。パリではパリの美味しいものを。
ああ、眠い。今日も春の泥のように眠るのだ。
9月26日
ほぼ3ヶ月ぶりのコラム更新。個人的な話であるうえに恐ろしく長く入り組んだ話なのですべてを割愛させていただくけれど、とにかくいろいろあったわけです。孫悟空が天竺に行って帰ってくるくらいのお話。昔のお話。
それで最近は何をしているのかといえば、久しぶりにフランス語の勉強をはじめている。学生ビザを取得するために怪しげな学校の入学許可をもらったのはいいのだけれど、肝心のビザがおりなかった。君にはあげませんと拒否されたわけである。どうしてそういうことになったのかも話すと長いので割愛。つまり学生証を持ってはいるけれど滞在身分は旅行者のまま。またしょっちゅう日本に帰らなくてはならないし、ばか高い住民税を払わされるということ。
学校の話に戻ると、朝9時からの授業で1日3時間、お昼までみっちり。中級の会話クラスなのでそれはもう目を見開き耳を逆立てて聞いていないと、すぐに迷子になってしまう。行き帰りの電車約30分でも簡単な予習復習までやっている。まあせっかくフランスにいるんだから、もう少しフランス語が出来てもいいだろうというわりと安易な動機なのだけれど。
うちに帰ってからも授業でやったボキャブラリーの復習と宿題をこなす。それから自分の仕事に取り掛かるものだからなんせ時間がない。メールもチェック、週末に買った商品も整理して修理して写真とって、洗濯物も乾いてるし、美味しいものも食べたい。買い物に行ったついでに郵便局によって切手を買って、、、なんてことであっという間に次の週末がやってくる。円の周りをぐるぐる回っているような生活。これが時計でいう長い針だとすると短い針は日本への帰国。あと2週間、と考えるだけで気が急いてくる。切符の手配、商品の梱包、送るものと手荷物で持ち帰るもの。留守にする前は部屋もきれいにしておきたいし。家賃とさまざまな経費を小切手で送って。。。
そう、結構忙しい。控えめに言っても「かなり」忙しいほうの部類に入るのではないかと思う。そこに日本からのわりとマイペースなお客さん方がやって来て、暇な宮脇くんのお相手をしてあげようとしてくれるものだから。。。
また日本で、大江戸骨董市でお会いしましょう。
7月7日 七夕
2012年のオリンピックがロンドンに決まりなんとなく胸をなでおろす。フランス人にゃ悪いけどね。ま、パリの中にも僕と同じような気持ちでいる人は少なからずいるのではないかと推測する。エッフェル塔に、セーヌのライトアップに、オペラ・ガルニエに、もういたるところに"PARIS2012"のモニュメントなり、ライトアップなりそういうものがべたべたと行われていて、それがどうも美しくない。
2012年、僕はどこで何をしているか知らない。生きていれば40歳くらいになっているわけだ。と、書きながら自分で恐ろしくなった。日本にいるのか、フランスにいるのか。どちらにせよパリでオリンピックが行われていたらその時期にはちょっとパリは御免だね、と思う。その時期どころかそのしばらくあとまでオリンピック景気で物価は上がるは観光客は多いわホテルは満員でチケットも取れない、その上、今以上に派手なキャンペーンを街中でやられたら。。。哀しいではないか。
そういうお祭りごとは外でやっていただき僕は平穏な日々を送りたいのだ。今日にでもあの醜い飾りをすべて撤去され3日後には誰もオリンピックの話しをしなくなる。それがパリの人々なのだよ。
今日は祖母の命日。お祖母ちゃんの好きそうな一品でも作るとするか。さて、中華街へ。
6月29日
やっぱり世界的な異常気象、ここまで毎年おかしくなるともうそれが異常であることに気がつかなくなってきそうで恐ろしい。こちらフランスでも例外ではなく6月だというのに30度を越す日が続くかと思ったら急に恐ろしい嵐がやってきたりして街中が大混乱した。もう、この世の終わりのような雷雨、そして風。「入り口の石」が動くのかと思った。
そんな嵐の中、能天気に買出しに出かけていたものだから大変。半開きになっていた窓は大きく開け放たれ窓際のものが吹き飛び散乱し、そして恐ろしいことにすべてが濡れていた。部屋の窓のすぐ横のデスクで僕は仕事をしているのであり、ほぼすべての書類と機械類がそこにおいてある。帳面はすべてふにゃふにゃになりノートブックPCをさかさまにしたら水が垂れてきた。足元にあったゴミ箱に10センチくらい水がたまっていたから考えるだけで大変な状況になっていたのだということがわかる。
帰ってきて部屋の惨状を目の当たりにしても一瞬では何が起こったのかが理解できず、しばし散らかった書類を拾いあげているうちに、自分の置かれている状況をようやく理解する。PCが駄目になるってのはちょっと足が震えるくらい恐ろしいことなのだ。携帯電話を水にぬらしてしまった場合、完全に乾かすまで電源を入れるな、という話を聞いたことがあったのですぐさまPCの電源を抜き逆さにして『陰干し』。嵐があったのは先週の木曜日くらいだから昨日で約5日間。電源を入れたい気持ちを我慢してひたすら風通しの良いところに置いておく。
この原稿を書いているのだから結果として問題なかったことはわかるでしょう。それにしてもよく頑張ってくれたものだとこの黒い機械を褒めてやるしかない。
これで思い出した昔の話。防水の携帯電話が発売されて早速買ってきた僕の友達。あんまり自慢するのでコップの中の水に入れてやろうとするのだけれど頑なに拒む、なんとか手足を押さえてコップの水につけて電話を鳴らしてみるとちゃんと鳴っている。それで調子に乗ったこの友達は合コンでこの電話を使って女の子の電話番号を多数手に入れたとのこと、そして結局、壊れたこと。思い出した、思い出した。
機械だってちゃんと褒めてやらなくちゃいかんよ。
6月22日
『我々日本人はついにここまで来たか』というのが今夜の感想。どうも今夜は眠れそうにもない。
唐突で申し訳ないがサッカーのコンフェデ杯、”日ブラ戦”の話である。初戦、メキシコに対しては星を落としたもののヨーロッパチャンピオンのギリシャを1−0で下したあと、お互いに負けられない勝負で世界チャンピオンのブラジルと2−2の引き分け。奇跡とか運がよかったとか、そういう言葉では片付けられない結果であると思う。
夕方までしっかり仕事をして軽く腹ごしらえとビールをきめてからいざサン・ミシェルのパブに試合開始30分前に到着、この店のテレビ放送予定を確認してから一番観やすい席を勝ち取る。とはいうものの自国が出場していないコンフェデ杯などこの身勝手なフランス国民の興味を引くはずもない、試合中テレビにかじりついているのは僕ひとり。開始早々のあのオフサイドで絶叫する東洋人がいかにこの試合に真剣に取り組んでいるかを知らしめてやることになる。あのオフサイドで我々の真剣さを知ったのはあのパブのなかにのいた人たちだけではなかったはずだ。
それにしてもこの試合の面白いこと、どちらもまったく集中力を切らさないめまぐるしい展開。まったく目が離せない。その中でもやはり恐ろしいのはロナウジーニョ(出てくるとは思わなかった)、ボールを持つだけで一瞬に空気まで変えてしまうというプレイヤーは世界にもそんなもにいない。彼が一昨年のシーズンまでパリSGにいたというのはパリ市民にとっては喜ばしきことだけれども、正直に言うともったいないことだったと思う。あの独特のリズムのドリブルから裏に回りこんだ若いやつにラストパス。この若いやつ(失礼)のスピードと恐ろしい切れ込みもすごかった。このシーンを何度も繰り返して見たけれども最後にはもう笑うしかない。こんなにも美しいゴールがあるだろうか。
個人のレベルを見るとスピードとテクニックではブラジルに完全に劣るけれども全体の印象としては悪くない。最近の代表の好きな言葉で言うと「気持ちで負けない」、そういう試合だった。その辺が冒頭の言葉につながる。世界チャンピオンを相手にして本気で勝つ気でいるという姿勢だ。
あそこであの選手が、あのボールが、あの審判が、という場面はお互いにたくさんあるのでやめにしても我々にはあのブラジルを負かすチャンスが何度かあったのは事実。その前の”メキブラ戦”の結果がもし、、、というのも事実。少なくともこの大会の大きなサプライズになったのは間違いない。
海外で暮らす日本人にとって祖国日本の世界的活躍ほど喜ばしきニュースはないと思う。
それにしても試合のあと、もしも加地や大黒あたりの選手がロナウジーニョとジャージを交換したとしたら、やはりそれはチーム内でひんしゅくを買う行為なのだろうか。
そういうことではなく、中田英寿の凄まじさを目の当たりにした試合でもありました。乾杯、ハレルヤ。
6月15日
このところ2週間ほど忙しさにかまけていい加減なもの(そうめんとかパスタとかサンドイッチとか、そういう簡単なもの)を食べることが多かったのだけれど、いい加減なものにも疲れてきた。飽きてきたともいえる。それで先週くらいからまともに料理に時間をかけるように心がけている。1960年代の程度のいいル・クルーゼの鍋が手に入ったのもいい機会となった。
日本で買ってきた本、米沢亜衣さんの『わたしのイタリア料理』と長尾智子さんの『ベジマニア おいしく食べよう!豆・米・野菜』(お二方ともパリでお知り合いになった料理家)、この2冊がかなり僕の食生活にフィットする。日本にいる頃はあまり見向きもしなかった野菜がどうもこのところいとおしい。そういうカラダになってきたのだと思う。
こういう本を見て、今までに培った経験と勘、それと冷蔵庫の中身もしくはマルシェの材料を頭の中でぐるぐると混ぜて今夜のメニューは決まる。最初からすべての材料を買ってきて、ということももちろんあるけれどある物で何ができるか、というほうがその人の力量とセンスが問われると思うから。もちろん一人暮らしには欠かせない方法だとも思うし。
最近作ったもの
・セロリと玉ねぎのアンチョビサラダ
・とろとろのズッキーニのオムレツ
・野生のアスパラガス さっと茹でてオリーブオイルとレモンで
・手打ちのパスタ「ピチ」いんげんとベーコンで
・にんじんとズッキーニ、にんにくのロースト
・蒸し豆腐
・ワイルドライスと胡瓜のサラダ
・ちりめんキャベツとグリーンピース、豚肉の蒸し煮
・ウイキョウとグレープフルーツの和え物
・大根とにんじん、鶏の煮物
・塩豚とレンズ豆の煮込み
フランスにいるのにイタリア料理が多いのはやっぱり好きだから。ここに書かなかったものだとほとんどが和食か中華、それにイタリア料理というのが僕の定番。あとは簡単なフランス料理。
こういう料理を自分ひとりで自分ひとりだけのために作る。そういうのを哀しいと見る人もいるけれど、自分のために最高の手間をかけるという行為は基本的にものすごく楽しい。そう思わないことも時にはあるけれど。
今日は今から友達がやってくる。嫌というほど食わせてやるのだ。
6月7日
相変わらず忙しい日本での数週間を終えてパリに戻ってきたのは先週のこと。戻ってきてもばたばたと忙しいのもいつもと同じ。ただ、今回帰ってきて驚いたことがひとつ。それは、アパートに集合ポストができてしまった事。
これがあるアパートとないアパートの比率は定かではないがないところも多いのは事実。それはアパートにちゃんと管理人がいて(普通は建物の1階部分に住んでいる)掃除とかもろもろをしてくれるわけです。アパート全体の郵便物を各部屋の前に配達してくれるのもこの管理人の仕事なんですが、当然めんどくさいわけですな。なにせうちはABC棟と3棟で構成されており1つに推定24世帯、3棟で70世帯以上の郵便物が来るわけですから。
本当は、こんなもんを作りやがって、管理人(マダム・ロドリゲス)はまた楽をしやがって、というコラムのつもりだっただけれど、ここまで書いて気の毒になってきた。毎日70件の郵便配達は楽じゃない。そりゃ間違いない。だけどですね、ドアを開けてそこに手紙が届いているっていうのはそれは素敵なことなんです。醜い集合ポストの鍵を開けて奥を覗き込むのとは全然違ったヨロコビがあるんですね。そのヨロコビを奪ったマダム・ロドリゲスの陰謀。やはりあのおばさんとはどうもウマが合わない。
ここで僕とマダム・ロドリゲスの確執関係を少し。
毎年、バカンスの前になると管理人に少しお金をあげたり、年末ならちょっとしたチョコレートを上げたりするのがこちらの慣習。最初は知らなかったんだけれど今はよくわかっている。ロドリゲスがことあるごとに意地悪をするのは僕がこの慣習を守らないから。彼女が意地悪をするから僕もあげたくない。しかも古道具屋のミヤワキは昼間からいつもうちにいて週末は暗いうちからどこかに出かけて行き汚いものを抱えて帰ってくる。どういうわけかその帰りに鉢合わせすることが多く、そのたびに「なにそれ?それどうすんの?」のようなことを聞かれる。錆びた鉄のカゴを、ぼろぼろのワインの箱を、古釘のつまった瓶などを手にしているとき、それをなんと説明すべきか。ロドリゲスから見れば僕は得体の知れないアジア人、という見解を僕は未だひっくり返すことができない。
そういうわけでロドリゲスとの闘いは出口を失っている。
あの醜い集合ポストとマダム・ロドリゲスの引退を夢見て6月7月もしっかり働きます。8月の大江戸骨董市を楽しみにしています。
5月6日
友達のアトリエがあるというのでパリから南に150キロ、焼き物で有名なGienという街のすぐ隣、Briareという街に短い旅に出た。モザイクのタイルの街、運河があって、運河が流れる橋があって(エッフェル作)、お城がある。ただそれだけの小さな街。今年に入ってずっとばたばたとしていたのでそういう静かなところで久しぶりにゆっくりとしたかった。メールとインターネットのない生活(一部の方にご迷惑をおかけしました、ごめんなさい)。考えてみると買い付けを目的としない旅は1年ぶりじゃないだろうか。久しぶりの旅。
パリ・リヨン駅から早朝の国鉄に乗る。いくつかの小さな駅にとまり2時間ほどで到着。降りたのは我々を含めて2組、そういう駅であるからもちろん駅員もいないし改札もない。小さな駅舎(閉まっていた)と電車が来ることを告げるSTOPの電光掲示板とベンチ、それに野うさぎが走り回っているくらい。あたり一面の緑と静けさが遠くに来たなあ、という実感をさらに強くする。
宿は前述のお城、小さなお城だけれどこのブリアーの街がアーティストに格安で貸している。二人で泊まるには広すぎる大きな部屋が4つとそれぞれ異常に広いキッチン、バス、トイレ。まずはすべての雨戸を開放してこもっていた空気を入れ替える。キッチンの状態をチェックして何を食べようか、何が作れるかを確かめる。それで散歩に出た。
街の名所といっても上に挙げたくらいのものしかないのでゆっくりとゆっくりと散歩する。運河沿いを歩いてロワール沿いを歩いてエッフェルが作った橋を歩く。いろんな花と草と小動物、運河のなまずと鳥を見て雲の動きをゆっくりと眺める。純粋に小さなことに感動する。子供だった頃のやけに細かいことまでを思い出す。そういう美しき時間。
街に一軒しかない肉屋で大きな肉の塊を、スーパーで数日分の野菜とワインを買い込んでゆっくりと料理をする。散歩が終わるとあとに残るのは喰うことだけだ。丁寧にゆっくりと時間をかけて料理をし、おなじようにゆっくりと食べる。電気はもちろん通っているのだけど、たくさんおいてあったろうそくだけで夜を過ごす。くだらない話も大事な話もいくらでも話が尽きない。ワインがなくなるとろうそくを消して寝た。
次の日もほぼ同じ生活。散歩と食事、そして寝るだけ。本当にのんびりと気持ちがよくなって携帯電話から日本の友達に電話する。5月5日こどもの日は彼の誕生日。先月、忙しさにかまけて母の誕生日を忘れてしまったこともあり、ちゃんとおめでとうが言えてさらに嬉しくなる。すぐに日本に帰るのでパリにはたくさんのやることが残っていることも知りながら滞在を一泊延ばす。往復で買った指定のチケットは日にちがずれてしまったので変更しようと思ったのだけれどついに駅は3日間閉まったままだった。
また帰ってくるぞと無人の駅で野うさぎにサヨナラを言い、電車の中(帰りはなぜかコンパートメントだった)で旅の余韻に浸る。
そしていま、やることがいっぱいの中でさらに余韻を味わおうとこうして文章を書いている。そういう旅でした。
4月17日
このところお客さんが多かったり大きな荷物があったりでタクシーに乗る機会が増えた。日本ではほぼ決まった会社のタクシーに乗るので、運転手がしゃべりすぎるとかそういうことはさておき、運転の質と設備それからサービスというものに大差は無いように思う。ところがこっちではそういうわけには行かないわけですね。まずクルマが違う。一番一般的なのは多分フォルクスワーゲンのセダンかステーションワゴン、もしくはプジョーの4シリーズ(新旧)。ルノーは圧倒的に不支持。基本的に個人でやっているのでクルマは個人の選択。メルセデスだろうが4駈だって関係ない。この辺の当たり外れは相当に大きい。でもそれ以上に大きいのは運転手の質、というか運転の性質。市内の石畳を100キロで縫うように走る若いのもいれば、ステレオでジャズを全開にして優雅に走るマダムも、赤信号につかまるたびに『クソ』を連発するおばはん、もちろん素晴らしい運転手も大勢いる。これで同じ値段ってがパリのタクシーの醍醐味か。
人間ってのは運転の技術をどうのこうの言われるということを非常に嫌うものらしい。荒っぽいタクシー運転手に『怖いからもうちょっとゆっくり走っておくれ』って頼んで現状が改善されたためしなど一度もない。誰でも助手席で踏ん張り通し、という人のクルマに乗せてもらったことがあると思う。でも、その人にに向かって(それが友人であれ、他人であれ)その運転についてどうこうは言えないはず。乗せてもらっている以上、なんとなく言いにくいことだし、大体言われたほうは逆上するものだ。『どこが?この運転のどこが下手なの!?』って。下手な人ほどわからないし、それは男のほうに言えることだともいえる。
自分について。会社の車を何度も何度もぶつけてきたワタシはけして自分の運転が上手いとは思っていない。10点満点、絶対評価で6点取れるか取れないかといったところ。それでも乗っている人に不安を抱かせるわけでは無いように思う。それでもやはり助手席のお姉ちゃんに『あんた運転下手ね』って言われたら面白くない。
要するに世の中のたいていのドライバーは自分の運転はまあF1ドライバーほどじゃないにしろ上手いほうだろう、と思ってるわけだ。ゴールド免許証持ってる人なんてもっと性質が悪い。それは運転が上手な人がもらえるモノじゃない。ま、そういう人がごろごろと路上を走ってるんだからいろいろなドラマが起こる。4人でクルマに乗って運転手に向かって『こいつの運転怖い』と思ってる助手席、『そういうあんたの運転のほうがもっと怖いよ』と思ってる後部席右。『やっぱり俺が一番』と後部席左。何も考えてない運転手。あー、恐ろしい。こんなクルマには、というかこんな状況には、乗りたくない、乗りたくない。
4月12日
手帳をなくしてしまい部屋をひっくり返した挙句、昨日の道筋をたどって歩いてみた。大騒ぎしたわりに一軒目の郵便局で見つかり事なきを得る。よかったよかったと胸をなでおろす一方、こういった事態のあまりの頻度に自分で情けなくなる。一昨日、飛行機の予約を間違えたことに気づき旅行代理店でものすごく叱られたばかり(それはまるで職員室に呼び出された中学生のよう)。
古い記憶、新しい記憶をはたくといくらでも出てくる。その昔、パリでお金を落とす、もしくは掏られる。ロンドンではカバンを落とす→見つかる。そのあともロンドンで手帳をなくす。カナダに行こうとしてアメリカに着く。飛行機に乗り遅れてすべてが無効になる。飛行機の中で財布を落とす→降りてから気づいて見つかる。預けた荷物を空港に置いてくる→1回は忘れたまま、もう1回は途中で気が付いて取りに行く→怒られる。
要するにボーっとしてるんです。でもですね、そうでもないんです、本当は。すでにお気づきだとは思いますが断然飛行機関連のミスが多いわけです。それで飛行機に乗るときはもう何回も切符を見るし時間にも早く行くしいちいち指差し確認するくらいの慎重さを持って取り組んでいるんですが、どうもこれが緊張しすぎているんではないかと、そう思うわけです。普通の精神状態でいられなくなっちゃうんです。席について飛行機が飛び立ってやっとほっと一息という感じ。ま、そのあとのビールが格別なわけですが、それはそのあとのこと。とにかく、これ以上ボーっとしているわけには行かないと恥を承知でここにこうして記してみました。以後、気をつけたいものです。
3月31日
気がつけば年度末。それはニュースの欄でも書きました。それにしてもどうしてこんなに忙しいのだろう。朝から晩まで働いているような気がする。『パリで一番ヒマな日本人』と言われた頃、毎日公園で本を読んでいたのにな、あの頃に戻りたいようで戻りたくない。ただ、ちょっとした時間が欲しいなと思うこのごろ。
じゃあなんでそんなに忙しいのか、忙しいふりをしてるんじゃないのかと指摘を受ける日々なので2月からの日々を振り返る。
2月、前回のコラムを書いた翌日から日本からのお客人、2組到来。一週間フルコーディネート。この間、一度レストランで倒れる。その後、その注文をまとめて業者に連絡して梱包して発送して、そのあと自分の荷物をまとめて送るものを送って17日に飛行機で日本へ。到着翌日、蚤の市に出す商品を用意して名古屋から東京へ、無事に蚤の市を終わらせ夜は東京の友人と会食、月曜は打ち合わせのあと夜の東名で名古屋へ戻る。金曜日までほぼ毎日打ち合わせ、夜は宴会と食事会、そのあい間を縫って母を歯医者に送り迎え。その週末ふたたび東京へ走る。週明けに広尾のフランス大使館にヴィザを申請しに行ってからまた名古屋へ走る。帰って片付け。とりあえずこの週はここでやっとひと休み、友達と焼肉を喰ったり飲みに行ったりができるようになる初めての週末。週明けから九州へ一泊で。帰ってきて税務署に行って書類をまとめて会いたい人に会って、姪と遊んで、また飲んで一ヶ月の日本滞在オシマイ。それでまた飛行機に乗って帰ってきたというわけです。
そしてこの2週間、週末は蚤の市、頼まれている品を探して梱包して送って、各方面とメールと電話で連絡、いろんな方とお会いしてご飯を食べて酒飲んでオペラを観に連れて行ってもらって、3年来の友達とサヨナラして、そんなあいだに32歳。まるで他人のような歳になった。そんな2ヶ月でした。
こうして振り返って文章にしてみるといろいろな記憶がよみがえってくる。電話の声、高速を走る音、聴いていた音楽、突然見えてくる海、肉の焼ける音と匂い、カツオをさばく感触、姪と凧揚げに行った川原の風とよどんだ水の匂い。僕は話すよりも文章にした時のほうが物事を上手く伝えることができるのだと思う。
2月3日
1月の中旬にフランスに戻り、そのままバタバタと忙しい生活に突入してしまった。なにせ大好きな料理をする時間もままならない。食材の買い物に行く暇もないのでもちろん冬のセールに行っている暇もない。哀しいな哀しいな。年末から日本1カ月、フランス1カ月という周期で行ったりきたりしているのだから考えてみれば無理もない話。不思議なものでどちらにも『帰る』という感覚。日本にも帰る。フランスにも帰る。こうなると日本に帰る家が、自分の部屋があるというのは本当にありがたい話。そのおかげで『帰る』という感覚が持てるのだろうと思う。日本のママ上殿、どうか僕の部屋はそのままにしておいて下さい。
どちらにも部屋があってすぐに現地の生活に馴染みすぎてしまうせいか、帰って3日もすれば4日前の生活はすでに遥か彼方、遠い記憶のものとなってしまう。例えば今の時点でたった二週間前に日本を出てきたというのはどうにも不思議な話だ。17日前には近所で寿司を、18日前には築地で寿司を、有楽町で餃子を、19日前には小岩でモツ焼きを、20日前には雨の六本木で和食を、21日前は実家で煮物を食べていたわけなのだ。それがいまやどうだろう。充実していない冷蔵庫とストックの食糧をじっとにらみ、できる限りのディナーパターンを考えている。それでも今夜はかなり時間的に余裕のある夜となったのでこうして食後にワインを飲みながらHPのアップをしている。明日から一週間、またうちでご飯が食べられない生活。その一週間後にまた帰国というわけなのでまたあわただしい。そして帰ったら次の日からまた東京。今年一年も働きます。
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