10月28日
先回のコラムで住民税の話を書きました。その続きです。結構、いろんな方面から「で、どうなった?」という声をいただきまして、あらためて読者の皆様に感謝する次第でありまする。それで、結果から申し上げますとダメ、全然ダメ。返事の内容は「あんた、このあいだの所得税の申告のときに『日本人、フランスでの所得無し』って申告してますからこの部屋には『セカンドハウス』の税金がかかります。だから高いのはしょうがない」っていう敵ながら天晴の完璧な返答。もう、ぐうの音も出ません。これは払うしかない。しかし、今月から家賃が40ユーロ値上がりしたばっかりのところへ680ユーロの住民税だなんてひどいぜ、ひど過ぎる。こんなに慎ましく暮しているのにまあ傍から見れば『セカンドハウスに住むガイジン』ってわけなんですね。
ここはひとつ諦めて次のことを考えよう。年末をいかに楽しく日本で過ごすか。たくさん楽しいことがあってもう選べない。これが今日からの悩みの種。はい、そうしよう!年の瀬の日本、美味いものが山のようにあるし、会いたい人もいっぱい。大晦日は紅白も観たいしK-1もPRIDEも観たい!姪二人はまだ僕と遊びたがるだろうか。弟は彼女達にお年玉をいくらやるんだろう。友達が買っておいてくれると言ったセコガニは正月でもあるのか。伊勢参りはやっぱりちょっと空いてからかな。おかげ横丁のあの干物屋はまだあるかしら。いやいや、参った。ほんとに参ったです。
その前にチケット代を捻出しなくては・・・。
10月8日
今年に入ってなぜか2度目のパリ7区住民税納付のお知らせが来た。これは住民全員に義務があるから仕方の無いことなのだけれど、今年2回目となると合点が行かない。通常、その年の1月1日に住んでいる住人が払うというシステムで区によって値段が違う。ちなみに官庁や国、パリの機関がが多く住民が少ない7区は非常に非常に高く、逆に非常に非常に住民が多く国の機関など何も無い13区や18区は安い。これにも多少が点がいかない部分もあるが区単位で払うものだったら仕方ない。だがしかし!5月に約390ユーロを払ったばかりだというのに今月のは680ユーロと前回のほぼ倍、毎月の家賃とほぼ同じ額の請求が来ている。しかも今は金が無い。それは特に今に始まったことでは無いけれど、僕にはなんの恩恵もない住民税などびた一文とも払いたくない。納付書が届いた次の日の朝、受付が始まる9時きっかりに電話。こういうことになると朝もちゃんと起きるものです。受付のマダムに事情を説明すると折り返し調べて電話をしてくれるという。フランス人にしちゃなかなか上出来の対応ではないか。電話を切ってとりあえず小さなガッツポーズ。
その後、留守中に電話があったようで留守番電話にメッセージ、「5月に払ったのは2003年度分で今回のが2004年度分、そういうことですのでよろしく」とのこと。このときめらめらと燃え上がった怒りの炎を一生忘れることは無いだろう。大袈裟か。とにかくもう一度電話すると運良く同じマダムが出てきて同じ説明を繰り返す。さらにクレームがある場合はこちらへと電話番号をくれたのだけれど、そちらへかけるとまたもとの所へかけろと言う。お役所恒例のたらい回しという技に洋の東西は無いらしい。こうなれば直談判か、と思ったのもつかの間、僕はひらめいてしまった。前に日本宛に送った荷物が同時期に3個も紛失するというとんでもない事態になったときのこと、郵政省のようなところの担当者宛にちゃんとした抗議の手紙を書留で送ったところ、ちゃんと返事が来て補償金額がアップしていたではないか。書類の国、フランス。聞くところによると国民の86%が口から先に生まれてくると聞く。口頭ではダメなのだ、なんでも文書にしてきちんとした証拠を残し、受け取ってないなんて絶対に言えない書留で送りつける。それでやっと彼らの視界に届くというわけだ。
善は急げ、急がば回れ(メールじゃダメなのです、手紙を書留で、なんです)と普段使わないWordを開き、辞書に電子辞書、フランス語表現辞典、付録に付いている『手紙の書き方』を駆使に駆使、四苦八苦して書き上げました。そのまま郵便局へ走り3ユーロの書留で発送完了。あとは返信を待つのみ、である。
さて、この作戦の結果はどうなるのか。僕にもわかりません。また今度、結果が出たらアップします。
10月3日
ロンドンに行くことを急に思い立ったのは何週間か前のある夜のこと。ぼんやりと考えているうちにいてもたってもいられなくなって、その夜のうちにすべての日程を決めチケットの手配を済ませた。隣りの国、しかも島国へ行くというのに電車で行けるというのは何回どう考えてもなんとなく合点がいかない。古い体質なのだ。やっぱりイギリスに行くのなら空から、曇った重たそうな空の上から緑濃いあのイギリスへ着陸したいではないか。海の下にトンネルがあってそこを通って電車で行けるのだ、という話を9歳の姪に電話で話したらなんとなく不思議そうな様子だった。海の中を透明なチューブ上のトンネルが走っているところを想像しているのだろうと思う。もしそうだったらどんなに素敵だろうが残念ながら見えるのは闇。どこまで行っても尽きることのない闇。
今回、ロンドンは3回目、アイルランドに行ったときにちょっと通ったのを入れると4回目になるのだけれど、今回ほどその「外国っぷり」を実感したのは初めてだろうと思う。なんせどこを見渡してもまるで外国なのだ。全員が英語を喋る。左側を走る車。ゆったりとしたつくりの家々、に対し、一向に進まない二階建てバス。深い深い地下鉄。新聞に読みふける人々。煉瓦と緑のコントラスト。そしてパブでの安くて美味しいビール(11時のオーダーストップには毎回閉口)。これは僕の外国暮らしがいかに偏ったものであったかという証しでないかと思う。もうすっかりパリ依存症なのだ。ロンドンの物価が高すぎるのにもその原因があるのだと思う。地下鉄に1回乗るのに400円、ちょっと街角でフィッシュ&チップス1600円、家賃も高い、ガソリンも高い、ロンドンで勉強する学生の皆様、大丈夫ですか?心配になるくらい高い、文句なしに高い。あの人ごみと渋滞と歩くスピード、そういうものをかけあわせると大都会になるのだ。そういう意味ではパリってのはホントに小さな街なんだとほっとしたわけです。パリ万歳。
そんな高いロンドンでモノを買うのがお仕事な訳ですから回ってきました蚤の市。バーモンジー、ポートベロー、アルフィー、エンジェル、グリニッジヴィレッジ、コヴェントガーデン、アレキサンドラパレス、そんなところでしょうか。ロンドンの地下鉄ゾーン1−2を駆け回った感ありです。5日間の忙しい日程の中、いろいろな方にお世話になりました。特に全日程でポートベローのフラットの一室をオーメドック2本で提供してくださった映画監督のカーティス、彼を紹介してくれたゆき姉さん、この場を借りてふたたび多謝。
9月21日
かぼちゃの種、これをうまく食べられるかどうかによって「美味いものを喰う為の意欲」を試される。こんな話を聞いたことがあるだろうか。友達から聞いた話なのだけれど、おそらくは中国の古い噺で開高健なんかが書いていたのかもしれない。席に座らせた客に酒(あるいは紹興酒なのかもしれない)とかぼちゃの種を出しておいてから、さりげなく種の食べかすを覗き見る。その食べ方によって前述の「意欲」を量り客に出すメニューを決めるというのだ。こう聞いただけでいかにも中国的な、いかにも開高好きのする話ではないかと思う。
実際にやってみるとこれがナカナカ難しくて楽しい。あっという間につまみ用の豆皿が片方は空になり、もう片方は殻の山になる(その殻で量られるのだからすぐに捨てるわけにはいかない)。一ヶ月も研究しているうちにかなり巧くなった。パリの中では上位3パーセントに入るだろうと思う。ただし、中国人を除いての話だが。僕の考える「美しい殻」とは、殻が二つに割れない、くっついたままの状態で中身を食べてしまうという方法。かぼちゃの種にしてみれば中身を食べられたのに気がつかない、そういう状態。刺身になった魚がまだ動いている(あれはちょっと趣味がどうかと思うが)そんな状態ですね。しかも、それを片手でやるわけです。片手には酒を持ってるわけだから両手を使ったんでは格好が悪い、右手と歯でさらっと。
話を中断することもなく、酒をぐいっと飲りながらその主人が出てきてこそっとこの殻の小皿を見る。と、そこには中身を食べられたことに気づかない種の殻が並んでいるわけです。で、主人はニヤリと厨房に入っていき黙ったまま美味いものが出てくる、とそういうことになるはずなんですね。この噺を教えてくれた僕の友人もこういうことには真剣になるタイプなので今ごろはかなりの達人になっているはず。ということは今度のお正月に帰省したときには二人で倒れるくらいに美味い中華を喰えるというわけです。もっとも、かぼちゃの種がまず出てくる中華なんて聞いたこともありませんが。。。その前に、この噺が中国の噺だとしたらの話なのです。
明日はル・マン、明後日からロンドン、なにか美味いものが食べれるといいです。
8月31日
8月の終わりとなると我々日本人にとっては1つの祭りのおわりであり夏の終わりを感じさせるものでありますね。宿題がまだ終わってないんじゃないかと姪のことが心配になり電話をしてみたりするのだ。留守だったけど。やっぱり夏休み最後の夜は家族でお食事なんかしてるのではないかと邪推する。こちらはすっかり秋模様なのだけれど。
長く暑い日本の夏をたっぷりと過ごした後、台北、香港を経由するややこしい便でなんとかフランスに戻ってきた。しかし、暑かったな、夏ってこんなに暑かったかと毎年思う。そして冬になると、こんなに寒かったか、と思うわけだ。これはその季節季節に順応しているのか忘却しているのか未だによくわからないのだけど事実である。恐ろしい勢いでいろんな物を忘れ去っているのも事実である。それが、ふっと何かの拍子に蘇ってきたりすることがありますよね。「ああ、そう、こういう感じ」と膝を打ちたくなるような、そういう感じですね。日本に帰っての話だと、気のきいた和食やなんかで熱いオシボリのあと、小さめのグラスにビールを注いでもらってきゅーっとしてる間に枝豆が出て来る、そんな時、感じてしまうんですね。「これこれ」と。それがフランス、パリだとどういうことになるかというと、これはあくまでも僕に限っての話なんですが、地下鉄に乗ろうとして薄暗い通路を行こうとするときにはじまるんですね、匂いが。風呂に入ってない人間の体臭、誰かがそこらでした小便の匂い、様々な人種の腋の匂い、要するに人間の発酵した匂いです。これをかぐと「これこれ」ではないんだけれど「また来たな」と思うんですね。他にもいろいろあるんですが結局はこれが一番パリを感じるわけです。
パリで見た美しいもの、パリで食べた美味しいもの、こういうものはいずれ忘れてしまうかもしれないけれど、この匂いというか感覚はきっと一生忘れないんだろうなと、そう思うわけです。
6月7日
いやいや、日本からのお客様が多くて忙しい毎日です。友達や家族に「どうせ遊びに来るなら、一番季節のいい5月6月にいらっしゃい」と言い続けてこの結果。この40日で延べ7組の友人がパリに遊びにきました。いやいや、これがなかなか楽しくもあり大変でもあるわけです。でも、普段行ったことのないところに観光できたりして、一緒になってパリを見直すのも楽しいんですね。あちこちで呼び込みの(アヤシイ店ではない)お兄さんに「にーはお」「あにょはせよ」なんて声をかけられるんだから、いまやアジアからの観光客は日本人ばかりでもなくなっている。そこで韓国人や中国人に間違われるとなんとなくむっとしてしまう我々日本人。もちろん僕だって面白くない。だって中国人と韓国人と日本人って全然違うじゃないか!?5%の国籍不明アジア人は別として(流行というものを無視して生きている人が多い)一目見れば50メートル先でもわかる。アジア人以外にはこれがわからないらしい。そういえば、そういえば、あなたは電車に乗っている、隣りの席でステーキを食べている、向こうから歩いてくる白人が何人かわかりますか?フランス人から見て典型的なのは大きく分けてアメリカ人、イギリス人、ドイツ人。僕はなんとなくわかる。きっとわかる。でもね、やっぱり「中国人?」なんて言われてしまうと僕も意地悪になるわけです。「僕は日本人ですがあなたはドイツ人ですか?」おおよそのフランス人にとってドイツ人(もしくはアメリカ人)と間違われるほどの屈辱はないといってもいいだろう。これは効きますよ。我々が中国人と間違われたとき以上の大袈裟なリアクションでもって全面否定するのであります。大袈裟な言い方じゃないですよ。全面否定です。「のん、のん、あーーーノン!!」 理由はフランス人に(もしくはドイツ人に聞いても面白いかも)聞いてみてください。一晩かかってでも説明してくれるでしょう。
4月19日
今日はちょっとしたコトバ遊び。きっかけはこのあいだ日本語ぺらぺらのフランス人、こういうのを我々はニッペラ仏人と呼ぶことにしている、とお茶を飲んでいるとき。たまたま500ユーロ札(ほとんど流通していない)を持っていた僕に「そんなお金、骨董屋か麻薬の売人しか持っていないわよ、もしくはサバ君ね」、とその彼女。「サバ」っていうのはもちろんフランス語の挨拶、「元気?」とか「大丈夫」とか「OK]とかいろんな意味で使えます。それで、彼女が言ったのは鯖のこと、フランス語でMaquereauマクロー、つまりは売春婦なんかのヒモを指すわけです。それでサバ君。彼女、なかなかの日本語能力なのです。
それとはちょっと違うのだけれど僕がひそかに面白いと思っているコトバ。電話なんかで「じゃあ、あとでね」って時に a tout a l'heure!(あとぅたらー)って言うのが僕には「あとからー」って聞こえる。ストップ、やめて下さいという意味のArettez(あれて)が「やめてっ」に聞こえる。そういうことを考え出すときりが無い。英語で言うROADが日本語でドーロてのも面白いし、日本語だって漢字を間違えるとえらいことになっちゃうことがある。タイプミスで変な変換だってしょちゅう。「そういえば」が「総入れ歯」に、「薬剤師」が「ヤクザ医師」になる。
こんなことをバスに乗りながらよく考える。きっとニヤニヤしているんだと思う。そんな空想に耽る変人が多いからこの街は今日もちょっと楽しい。
3月9日
われわれ日本人にとって日本人自身ほどわかりやすい人たちはいないのではないか。200メートル先の二人組でも、それが日本人ならすぐわかる。これは僕だけの特技ではないはずだ。なぜわかるのか?服と髪型、女の子ならメイク、それに姿勢と体型。まず外れないその理由。まずスリッパにヒールがついたミュールという靴をはいている。それと編みタイツ。それでひざが伸びず猫背、エックス脚でかかとつきスリッパをぺたぺたして歩く。これを読んだ男は自分のまわりの女の子の姿勢を注意してやってほしい。とてもセクシーとはいえないのである。これを読んだ女は鏡を見て姿勢を正してほしい。男だって姿勢が悪いぞ、無気力丸出しでとぼとぼ歩くんじゃない。
何でのっけからこんな話か。現在、パリはコレクションの真っ最中であり、コレクションでなくてもその下の小さなメゾンクラスの催しもやっているそうなのでそのスジの日本人がどかっと押し寄せていた。どこへ行っても英語で通そうとするその姿勢と領収書をもらって経費で落とそうとする姿勢はやはり改める必要があるのではないか。
この際ついでだから他の特徴も書いてみよう。
・ひもがいっぱいついた高級なリュックを持っている。Gregory、Patagonia等、そんなもの登山家と日本人しか持ってない。
・髪の毛が茶色い
・髪の毛をすいている。←シャギーっていうのかな??女の子ならほぼ100パーセントでしょう。
それで肩くらいの長さなんだけどちょこんとしばったりしてみる。ピンを多用する。
・朝からフルメイクしている。
・妙に身なりの汚い人がいる。ヒッピーみたいな若者。しかも、そのなりで堂々とヴィトンに入ったりする。
・「ありがとう」が言えない。
・もちろん「こんにちは」も言わない。
そういうわけで日本に帰ると愚痴っぽくなる僕なのです。
ところがこれは日本人だけにわかるという話じゃなかった。フランス人の友達が「日本人の真似しまーす」といってはじめたのは、やはりその歩き方だった。僕に言わせりゃ「ほってんとっと・ほってんとっと」歩き。まあ昔の人(直立歩行を覚えた太古の昔)の歩き方です。お願いだから皆さん気をつけて。もう1つはシェフのドミニク談。レストランで料理がテーブルに運ばれてくる。そうすると女の子は口をパクパクさせながら(これは僕が思うに『おいしそー』か『すごーい』のはず)、小さな拍手をする。音が出ないあの拍手である。心当たりがあるでしょう。
そういうワタシもやっぱり日本人に見えるんだろう。このあいだ、携帯電話を掏られた。。。。。。しっかりナショナル製だった。
3月4日
今日は古い友達の誕生日。昔はよくけんかしましたがおめでとう。
ここのところあまり時間があるとは言えないのだけれど閑を作っては『沈まぬ太陽』山崎豊子著の分厚い文庫をめくる日々。サラリーマン社会の不条理に恩地さんと一緒に怒り哀しんでいます。日本のお父さんたちは大変だったんだろうな。いや、今も大変でしょう。正しいことが正しいで通らない社会に身を置く、この本のなかでは『片目の猿の国の両目の猿』と表現されていますが、その中にいて自分の主義を通せるか。毎日、夢でも考えています。
さて先日、パリにある2つの本屋のうち一軒がリニューアルするということで半額セールを開催していた。初日に出かけたのだけれど、通常の3倍くらいのお客さんがここぞと本を物色中。負けてはならんと文庫を何冊か買ってきました。半額になっても日本の定価の約3割増し、いったい君たちは普段どんな商売をしているんだね、と問いただしてみたくなる。1000円の本が半額になって約10ユーロ、現在1ユーロ136円だから、1360円、普段だと2720円。ここで僕は襟を正して声を大にして叫ぶのです。「パリに新しい本屋を!」
1000円の本だったら700円で仕入れできるのだから送料がかなりかかるとしても他の経費は日本の本屋と変わりないじゃないか。人の帳面を覗き見るようで気分が良くないが、こっちは高い本を買っている。そう、だからこれは誰かにとってはビジネスチャンスです。1000円の本をせめて2000円以下で売っていただきたい。そうしたら他の2店なんて誰も行かなくなる。結果、みんなで値下げ。結果、共倒れしてもらうと大変困る。だから、だから、もうちょっと安くなりませんかね。
1月25日
どういうわけか今月は10日おきにコラムを書いていることになる。うーん、やる気がみなぎっている感じがとてもいいです。
朝起きてみると今年たぶん3回目の雪が待っている。お正月と昨日と今日。パリはあまり雪が降らないはずなのだけれどまあこれくらいは降ることがあるのでしょう。いつもは快適に22度前後の僕のアパルトマンもちょっと気温が下がってきた。いままでは『外気構』と呼んでいた窓の隙間が妙に気になりだしとりあえずダンボールでふさぐ。こちらの窓は2重ガラスサッシを取り付けているのを除くとほとんどが木製の窓枠である。観音の内開きになっているのだけれど、天井が高いせいとペンキを何度も塗りたくるものだから分厚くなってしまったりで歪んでうまく閉まらないことが多い。下はちゃんと閉まって閂が下りるのだけれど上が閉まらない。そこでホームセンターに行けばあるわあるわ、窓の隙間補修グッズ。巨大なホームセンターの巨大な1コーナーを独占しているではないか。これはちょっとした眺めである。主流はテープ状のもので、テープの片面がぷくっとしたゴムのチューブのようなものになっている。それが幅が何ミリ、厚さが何ミリ、しかもいろんな色がある。空気をあとで入れられる高級なものもある。アルミサッシ全盛、家の中が密閉されすぎて窓が結露してしまう日本からはちょっと考えにくいこの『隙間大国フランス』なのである。
いまはどんよりとした曇り。このあいだ買ってきたホーロウの温度計は5℃。一日出かけずにデスクワークに励むのである。
1月15日
インロックしてしまった。アパルトマンのドアの話である。なんとなくスローモーションで閉まっていくドアががちゃっとなった瞬間にはもう気がついていた。「ポケットの中の鍵はドアの鍵じゃない」と。ジャケットのすべてのポケットを漁っても出てくるわけがない。鍵は部屋の中にあるのだ。さて、朝の10時、空は晴れ、どうしようか。
ここで鍵屋さんを呼べばドアに穴をあけられるのはフランスの常識。それって鍵屋の仕事じゃないでしょう、と思うのだけれどしょうがない、それがこちらのやり方なのだ。穴をあけて金具で内側の鍵を引っ張って開ける、それで40ユーロくらいとられちゃったりするわけだ。もちろん穴はそのまま。「適当にふさいどいてください」てなことになるのは目に見えている。だからその選択肢は無し。
鍵を持っている友人は学校に出かけてしまって、しかも携帯電話を持っていない人。使えない話だ。学校の昼休みに出かけていって偶然にも会うことができた。だがしかし、僕の鍵を持ち歩いているわけではないので彼女のアパルトマンまで鍵をとりに行かなくちゃいけないわけだ。このあたりで自分のミスと運の悪さを呪いはじめることになる。
その帰り道にアパルトマンの管理人、マダム・ロドリゲスに聞いてみることを思いついた。でも、あのおばさんとはどうも相性が悪い。あんまり好きじゃないんだな、これが(向こうだってそうだろう)。あんまり悪びれずに聞いてみる。無言で近くにあった鍵のボックスをひっくり返し「これじゃなきゃ、また取りにきて」だって。なんて愛想の悪い女だ。それでも嬉しくなってつい感じのよい微笑でありがとうをいってしまったことを悔やみつつ、鍵を開けてドアの内側に落ちていた鍵を握りまたロドリゲスのもとへ戻る。もう一度ありがとう。「いつもいるとは限らないからね、それから夜は駄目やめてちょうだいね」だって。わかってますよ、なんて嫌な女だ。あんたそれが仕事じゃないのか?ぐっとこらえて今度はさらっと「わかってるって、ありがとね」。なんとか言えた。でも、ちょっと笑顔がこぼれる。
しかし鍵屋がドリル持ってやってくるような国にどうしてオートロックが必要なんだろう?。負け惜しみのようだけれど。
1月5日
生まれてはじめての異国でのお正月に胸をときめかせていたのだけれど、外国の正月なんてあまりにもあっさりと終わるものだった。日曜日が月曜日になるのと大して変わらない。カウントダウンをしてキスをしてシャンパンを飲んで寝ておしまい。お節もたこあげもお年玉もかくし芸大会も無い。そのあたりのないないづくしは去年(こう書くとすごく重みがある)のコラムで書いた。5日ともなればその名残といえば道端に捨てられたクリスマスツリーくらいのものである。やっぱり正月は日本。帰れるものなら帰りたかったです。なんて愚痴をこぼしても仕方が無いので、今年の目標はと姪に聞かれてひとまず「一年を通して病気けがをせず元気に暮らすこと」なんてあいまいに答えてみる。その矢先から風邪をひいて寝込んでしまう。微妙な出だしにちょっと先が思いやられる。
しかしそんなことも言っていられないのである。1月のヨーロッパはバーゲンセールの季節なのだ。年末のお買い物ムードをじっと歯を食いしばり目線をそらせてきた鬱憤を今月は晴らしてくれるわ。といっても服や靴はもう買わなくていい(こんなもの参照)、携帯電話を変えてみようと思っている。今のはまだ白黒画面。こんなのは日本にはもう存在しないだろうな。思い切ってカメラ付きを購入予定なのである。携帯電話なんていう浮かれたアイテムは年末が過ぎればぐっと購買意欲が下がるはず。ということは一ヶ月前の値段がうそのような大幅な値引きは必至なのだ。これは過去の経験(iMac、デジカメ)で大きな後悔をしてきた。同じ轍は踏むまい。
同じ思いで年末をしのいだ皆さん、楽しいお買い物を!